rukbatの世界分散投資

30代後半のサラリーマンが国際分散投資で早期退職を目論むブログです。

金を貸す気が無いなら銀行なんてやめてしまえ。

こんな記事を読みました。

この記事に出てくる「地銀幹部」は、一度でも、銀行の社会における役割を考えたことがあるのかと、憤りを感じずにはいられません。このような認識の人間が幹部をやっているような銀行は、さっさと潰れてしまった方が世の中のためだとさえ思います。

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(やっと雨が降りました。)

銀行の特権

まず、私は自由主義者ですので、特定の企業が自力で集めたお金を証券投資に使おうが、兵器開発に使おうが文句を言う気はありませんし、私の思想信条と異なった方針の企業があっても、違法なことや明らかに卑怯なことでもしない限り、自由にすれば良いと思います。しかし、銀行は異なります。それは、銀行はものすごい特権を持っているからです。特権を持つものはその分だけ義務を果たすべきです。義務を果たさずに特権だけを享受することは許されません。
では、銀行の特権とは何でしょうか?それは、元本を保証してお金を集められることです。これを銀行以外がやると出資法違反の罪に問われます。銀行だけが元本保証を許されているのです。
そして、元本保証の力は絶大で、金融庁が「貯蓄から投資へ」のスローガンを掲げたり、NISA、確定拠出年金といった投資に有利な制度をつくったりしても、一向に資金の移動は起こっていません。それほどに元本保証の効果は強いのです。
また、この元本保証は銀行が自らの責任で実現しているわけではなく、預金保険機構という国が出資する機構を通して実現しています。ですから、銀行が破産しても国や他の銀行が1,000万円までの預金を払い戻してくれます。つまり、社会全体で銀行の元本保証を支えているのです。

銀行の社会における役割

それほどの特権を与えられた銀行が果たすべき役割は何でしょうか?それは、金融仲介と呼ばれている役割です。簡単に言うと、「お金が余っている人からお金を集め、お金を必要とする人に貸す」ことです。この役割は、資本主義社会において、新しい産業を起こすために非常に重要です。何か社会の役に立つ新しいことを思いついても、お金が無ければ事業を起こせません。しかし、銀行から借りれば、事業を起こすことができ、より良い未来を作ることができるようになるのです。
そして、この役割が充分に機能するためには、「お金が余っている人からお金を集め」の部分が円滑に進む必要があります。ここで、前述の「元本保証」という特権が効果を発揮します。つまり、「お金を必要とする人に貸す」という資本主義社会にとって重要な役割を円滑に進めるために、銀行は「元本保証でお金を集めても良い」という特権を与えられているのです。

有価証券と無担保融資なら無担保融資をしろ

以上のことを理解して、冒頭の記事中に出てくる地銀幹部の発言を読んで下さい。

金融庁が進める無担保・無保証融資の推進や、新規事業に対する積極的な融資というのは、大きな貸出リスクを内包している。有価証券運用におけるリスクを金融庁かは厳しく指摘するが、金融庁が進めるように指導しているこれらの融資も相当のリスクがあり、危険性は変わらない」(別の地銀幹部)

こんなことを言う人間が幹部をやっているような銀行は今すぐつぶれてもらいたいと思います。
金融庁がすすめる「無担保・無保証融資の推進や、新規事業に対する積極的な融資」は社会が銀行に期待している役割です。むしろ、こういった役割を果たすために銀行が存在しています。より良い未来をつくるためには、こういう冒険的な融資も必要ですから、失敗したときは、社会全体で尻拭いをする仕組みになっているのです。
一方、金融庁が規制しようとしている「有価証券運用」はどうでしょうか?そんなことを銀行にやってもらう必要はありません。お金が余っている人が、自分でリスクを取ってやればいいだけです。銀行が有価証券運用に失敗したとき、社会全体で尻拭いをする必要など少しもありません。
つまり、金融庁の指導は、本来あるべき銀行の姿を語っているだけで、何の問題もありません。銀行は、無担保・無保証融資と有価証券運用が同じくらいのリスクだと思うのなら、当然のごとく前者を選べば良いだけです。悩む理由がわかりません。
また、融資先の信用度を調べることは銀行の本来の業務のはずです。それにもかかわらず、無担保・無保証融資と有価証券運用の危険性が変わらないと発言することは、自分は無能だと言っているに等しいと思います。
そんな銀行はさっさつぶれてもらっても誰も困らないのではないでしょうか?

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